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―遠藤さんの高校時代について、お聞かせください。
普通の思い出は特にないんです。中学、高校とエスカレーターで進む学校だったんですが、中学のときにクラスに非行少年がいましてね。何か魅力を感じて引かれていたんです。自分では非行行為をするわけではありませんでしたが、親しくなっていきました。僕の母も、彼らを差別せずに受け入れてくれて、それがいいもんだからしょっちゅう家にきては「ママさん」と言って甘えていたんです。ところが、彼らは高校へは上がれなかった。そうこうしているうちに、彼らのうち3人が自殺してしまったんです。僕がよく遊んでいた1人は、防空壕の中で出刃包丁で腹を割いた。
―それは衝撃的ですね。
勉強もスポーツもずば抜けているやつでしたが、ある日突然、豹変して荒れ出したんです。僕に会うと、懐かしがってくれるところはありましたが、片っ端から人を殴りつけたりしてね。どうやら、彼には出生の秘密があって、それを知ったらしいんです。別の1人は、睡眠薬を飲んでたらい船に乗って落ちて死んだ。そんな友人の死が、ずっと自分の頭に残っていたんです。というのも、非行少年と付き合っていると、自分も引っ張り込まれるわけで、あるところで「付き合い切れない」と思って離れるんですね。「遠藤から見捨てられた」と言われたり、お葬式で、その母親から「遠藤君が止めてくれたらよかったのに」と言われたりもしました。しばらくは忘れていたんですが、自立援助ホームを始める決心をしたとき、そのことをいっぺんに思い出して、毎晩のように夢にまで出てきたんです。自分でも不思議な体験でした。
―そのご経験が、いまのお仕事につながっているように思います。演劇の世界からこの道に身を投じた経緯は、どういったことでしたでしょうか。
91年のことですが、ある児童養護施設長を通じて、横浜市から要請されました。市ではなかなか引き受け手がいなくて悩んでいたところ、その施設の理事をしている僕の兄が、「弟が向いている」としゃべったらしいんです。というのも、兄は牧師をしていて、その教会には青年期の難しい子どもが集まってきて夜遅くまで議論することがよくあり、僕はそういうのが好きで、そういう青年がよく家にも遊びに来ていました。僕がいた劇団にも若いのが集まっていて、よく芝居について議論していましたから。
―すんなりと引き受けられたのでしょうか。
いえいえ、断り続けましたよ。全く見ず知らずの世界ですし。ところが、何度断っても、その施設長があるときいきなり玄関に立っていたりするんです(笑)。これは仕事を知らずに断っていると思っているのだろう、知った上で断ればあきらめてくれるに違いない、と思って、女房をその施設に3日間通わせたんです。そうしたら、ある保育士さんが「養護施設と自立援助ホームは違う」と言って、広岡知彦さんという人のことを書いた『翔べ!はぐれ鳥』という本を渡してくださったんです。広岡さんは世田谷にある『憩いの家』という自立援助ホームをやられていた人ですが、東京大学の物理学の研究者であり、父親が朝日新聞社の社長を務めていた、いわばエリート一家でした。その本に打たれて、なんでそんなエリートの人がこうしたことを好き好んでやるのか、と強い興味を覚え、すぐに「会いたい」と電話したんです。
―広岡氏とはどういう方でしたか
。
純粋を通り越した人で、非常に引き付けられましたね。ご自分の恵まれた環境と正反対にある子どもを心から受容し、大切に考えておられる。神様かと思ったぐらいです。そんな広岡さんから僕の経歴やら家族のことやらを聞かれ、「遠藤さんに向いていますよ、ぜひ『憩いの家』の子どもたちに会いに来てください」と言われたんです。女房と2人で行くことにしました。
―
そこで初めて問題を抱えている子どもたちに会われたわけですね
。
『憩いの家』には、そのとき軽度な精神障害を抱えた子と、父親から性的虐待を受けていたという子がいました。最初は、僕を下からうかがうようにして、目を合わせようとはしなかったんです。それが、ごはんを一緒に食べているうちに笑顔が見られるようになって、帰るときには車まで見送ってくれまして。そのときに「また遊びにきてください」って言ってくれた笑顔を見て、この仕事をやりたい、って思ったんです。でも、この仕事は男がやれることはあまりなくて、実際はかなりの部分を女房や母親に頼むことになる。だから、3人が同時にやろう、と決意しなければだめだと思っていました。帰り際に聞いたら、家内も「やってみたい」と言ってくれまして
。
―それにしても、並大抵のボランティア精神では務まらない仕事という気がします。
あるとき、広岡さんから、ふと「自立支援ホームを仕事にしないでくださいね」って言われたことがあるんです。何のことかよくわからず、聞いても本人は笑ってあまり答えてくれない。気になっていたんですが、広岡さんがお亡くなりになって、その偲ぶ会である人がふと言った「広岡さんはコルチャック先生だったね」という一言でハッとしたんです。コルチャックとは、ユダヤ人の医者であり児童文学者であり、孤児院の院長もしていた人です。ユダヤ人の有力者が「せめて先生だけでも」とナチスに働きかけ、ガス室送りから逃れられることになったとき、「あなたがしていることは間違っている!」と一喝し、子どもたちに「ピクニックに行こう」と一緒にガス室行きの列車に乗ったという逸話があります。広岡さんは、私心を捨て、上下関係などではなく、あくまでも一人の人間として子どもたちに接し、当たり前のことをしたに過ぎない。仕事だからしているんじゃないよ。そう言いたかったのではないか、と思っているんです
。
―深いお話ですね。ところで、そんな子どもたちを出さないために、学校や家庭でできることはどういったことだとお考えでしょうか
。
学校が偏差値教育を始めてから、何か、崩れてきていると思っています。勉強ができるということが人間の価値基準になり、たとえば伝統的な技術などが省みられなくなった。家庭や学校が一体になってそんな虚構を作り上げてしまったことが、子どもの不幸の始まりでしょう。勉強ができない子は、教室から出ていってほしいといった風潮ができて、子どもが居づらくなって不登校が始まった面もあると思いますね。でも、それ以上に問題なのは家庭崩壊です。私のところに来る子の親も、経済的にも、知的な面でも優れていると思われる人でも、子どもが何か問題を起こすとすぐに子育てを放棄してしまう。そういった意味では、いまの親は「子どもの産み落とし機」になっている感さえします。せめて小さいうちは、子どもと一緒にいて、子どもに愛情を注いでほしいですね。それがないから、子どもが愛着形成不全になってしまうんです
。
―愛着形成不全だと、長じて問題が起こる、と
。
愛着が形成されないと、子どもたちにはいろいろな問題が出てきます。例えば、反応性愛着障害になって、人間関係が継続しなくなるんですね。ベタベタ甘えていると思ったら、平気で別れてしまう。相手構わずに性的関係を持つ。そんな若者も多いように思います。人間への基本的な信頼感を持てない子は何でもできます。別れてもべつに心は傷まない。罪悪感もなく、そんな少年が簡単に人を殺してしまうような現象を起こしているのではないでしょうか。
―
恐ろしい話ですね。学校がせめてできることは、どういったことでしょうか
。
クラスをもっと小規模にすれば、先生とも深くかかわるようになっていいのではないでしょうか。先生の子どもに対する評価も、「存在しているだけで素晴らしい」というふうにあってほしいですね。どこかがいびつになっているからでしょうか、そういう素晴らしい先生は定時制高校にはたくさんおられるように思います。「えんどうホーム」から定時制に通う子どもも多いのですが、何かあるとすぐに電話をかけてきてくださって、あったかい言葉をかけてくれますよ。
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いいお話をどうもありがとうございました。 |